モチベーションの上がってるときは下がってるときに似ている。
■モチベーションの出方は大きく2種類あるように思う。
よくテレビドラマや企画もの番組にあるような,「がんばって!」と応援されてやる気が出て頑張る,というのも確かにある。
あるいは,誰かが何かの苦労をしているのをみて発奮する,という場面もたくさんある。
けれど,それはなんだかきれい事の気がしてウソっぽい。
それで行動に結びつき解決に向かうということはあまりない気がする。
■というより,それで解決してしまう場合にはもうほとんどその問題や課題は解決されていて,今一歩の行動力,思い切りだけが足りなかった場合にのみ,そういったわかりやすい励ましと,それによる発憤で物事が解決に向かうのではないか。
営業回りとか,飛び込み営業とか,謝りに行くとか,恋の告白をするとか,プレゼンするとか,勉強を始めるとか,そんな風景。
そうそう,物事が解決するのを目的とせず,何かの行動自体を目的としている場合,あるいは何かの行動で解決してしまう場合に限られる。
■しかし多くの場合,それで解決はしない。
解決しないからこそ,それらの行動がためらわれているのだ。
なにごともただすればいいというものではない。
励まされて,して,解決するのであれば,人は万能だ。
■物事は「段取り八分」であるという言葉がある。「段取り八分,仕事二分。」
何かをするためには,事前の何かが80%必要だということだ。
逆に,事前の準備ができていれば,もう8割方その何かは完了しているということだ。
となると,先に話した,応援されて解決されてしまう場合は,意識的にかあらかじめその人に備わっているのか知らんけど,もうほとんど成功した状態であったということだ。
そんな都合の良い話は滅多にない。
あぁ,そうか,「~は俺が世に出した」とかいう人が成功したら何人も出てくるのは,そのきっかけを与えたということか。
■もとい,
ではどんなモチベーションの出方,上がり方が普通かというと,もっと暗くて,長いものではないか。
そしてそれは外に向いた営業的な積極性ではなく,内に向いた物作り的な集中力。
ひとり考えて考えて考えて,それでようやく導き出されてくるもの。
ひとりで考えすぎて行き詰まり,誰かに聞いてもらって,自分の声で自分の考えを聞くことでまた気づき道をみつけ,更に考えて考えて考える。
もちろん聞いてもらうことで有用な助言やヒントをもらえることもあるがそれはまれだと思う。
手伝ってくれたりするのは更にまれだ。
■もとい,
そのための集中力が,その状態がモチベーションというのではないか。
長いトンネルを抜けてようやくまとまってきて,行動に移る。
こうしてものを書き始めたり,どこかに交渉に行ったり。それら以前の取材や資料集めに行ったり。
それで解決する仕事もあれば,その結果を持ち帰り更に考えて考えて考えて,というように何セットも繰り返す必要があるものもある。というかオトナになればそっちの方が多い。
■仕事をするために,ただ表に出て頑張ってくれば解決するような単純な課題はこの世の中にはないし,もしそれで解決するような課題しか知らないのであればそれはその人が子供であるか,ずいぶんと下っ端な部分のみ担当してきただけであって,そのための多くの部分は誰か他の人が,あるいは人たちが,考えて考えて考えて,長い時間というか年月を経て考え尽くした準備されたものをただ行っているに過ぎない。
あの,ドラマによくある,カネが必要となると夜中に工事現場で肉体労働のアルバイトをするというそれ。
わかりやすい努力。
お金が誰かの元で働くことでもらえるものと思いこんでいればそれしか正解はないからシンプル。
ある意味,羨ましい。
結構複雑な仕事をこなしてる人にだってそれは当てはまる。
社員として働き続けてきた人が独立起業した場合とかに明白になる様々。とか。
■だから,モチベーションの上がった状態は,外見からは,モチベーションの下がった状態に似ている。
暗く落ち込んだ状態に似ている。
外見上にモチベーションの上がった状態とは,実は集中できていないでばたばたしてる状態だったり。
つまり明るく発散した状態。
いま,ひとりの時間を積み重ねて,ようやくモチベーションがきゅきゅきゅうっと上がってきたことを感じている自分は思う。
それは日々のすべてのサイクルで,ひとりで毎晩のように泳ぎに行っているのもまたその助走であったのか。
自分が欲するスポーツが,コミュニケーション型や習い事型でないのは,そのためでもあったのかと思う。
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