2011/06/15

働いたらお金がもらえるとは限らない。

■景気が悪くなってきて,それがこれだけ続くと,いままで隠されてて見えなかったトコがチラチラとみえてくる。

 出版不況,などというコトバを耳にするようになって15年は経ってると思うし,出版が不況なら,印刷はそれ以前にもっと不況のはずであり。製紙業界もやはり不況になる。

 自動車産業は裾野が広く,景気に与える影響が云々と,ニュースでは常識のように言われるが,この出版,印刷,製紙の産業も,それ以前の時代から同様の形だ。

 電子化,は,これから本格的になってくるわけで,ナカヌキ,も流通業を始め様々なところで始まってきたわけで,そんな話を,まだ社会人になって間もないころだかそのあとだかに,その頃の友人たちと話になったときのことをいまだに覚えている。

 高校時代の友人ってことで,私立高校だったこともあり,それは親の収入がつまり同程度だったってことを表してる。

 代々の農家で土地の一部にはアパートを建てて経営してて彼の代には農家をやめてしまおうって友人は,世の中はもっと合理的になった方が良いといったようなことを自分が話していると,そうしたらおまえの仕事がなくなってしまうじゃん,困らないのか,と言う。

 そうなったらなったで,自分ひとりまたは家族含めて暮らしていくくらいは,なんとかなるだろう。それよりも非合理的な形を維持することは社会に対して及ぼす影響がまわりまわって結局は暮らしにくい世の中になっていくと自分は言った。

 なにごとも自分よりもずっと合理的に考え,社会正義を唱えることの多い彼に対して,それを説明しなければならないことに,自分は何かを見つけた気がした。

■練馬区で生まれ育って,30近くなって初めて北区,そして荒川区に住んだわけだが,練馬区にいるときは,東京と,ニュースで言うときは,自分らのことだと思っていた。

 練馬区から,池袋や新宿や渋谷にももちろん行く。東京だ。東京に違いない。

 しかし,北区,そして荒川区に住んでみると,同じ東京といっても全く違う。

 浅草や,巣鴨など,上野,御徒町,アメ横,なんだか白茶けた,お年寄りのイメージだったのだが,こちらこそもともとの東京じゃないか。

 練馬区は畑だったところに,田舎から東京に出てきた人ばかり,いまや立派な住宅地になっているけれど,いや,その頃から畑3割でその他は立派な住宅地であったわけだけれど,僕らの小中学校の同級生は,みな親ごとにどこかに散り散りになってしまって,生まれ育った土地に戻っても,同級生なんてほとんど住んでいやしない。

 それもまた東京の一面なのだが,本来の東京ってのは,この東側にあったんだよね。
 ってのを,住んでみて再認識ができた。

■上記の2例で何が言いたいかというと,わかっていても,実感してみないと,自分の身をそこに置いてみないとわからないことが多いってことだ。というか,それが全てだってことだ。

 で,タイトルの「働いたらお金がもらえるとは限らない」ってのは,そのたぐいのこと。

 働かなきゃ,生活ができない,ってことで,勤め先を見つけよう。と言うのは,世の中の大半にとって普通の考え方なのだろうが,自分がそれを聞くと,短絡していると思う。

 そして,勤めれば,月々固定の給料をもらえる,と当然のように考えるのもまた,短絡している。

 給料をくれるのは,たしかに会社だが,それは,個人がそれだけの収益を上げるから,そこから諸経費を天引きして,悪く言えば,ピンハネして,分配するのが給与なんだから,入ってすぐに何十万ももらえる仕事なんて,そうそうあるはずないだろう。

 会社は魔法の箱ではない。

 もし,そんな人がいたのなら,会社に入らずとも,それ相応の収益を上げる何かの労働ができるはず。
 マージンをとられない分,そりゃ,個人でやったほうが良い。

 仕事なんて,やってみなければ,お金になるかどうかなんてわからない。

 勤めたからって,どうにかなるもんじゃない。
 固定給がもらえる方が変だ。

 会社の業績によって変動するのが本来であり,それはもちろん過去のあれやこれやも引きずった上で。

 マイナスの時は,逆に支払わなくちゃならないんだよ。

 それをすべて経営者のせいにして来たんでしょ。
 そりゃ,ある面,すごい。すごい無神経。鉄面皮。

■新卒者の就職率が下がっているという。
 しかし,アルバイトは人材が足りないという。
 若い人だけでは足りず,主婦層や,中年男性,外国人で補っているという。

 聞くと,時給が安いとか,正社員じゃないと,とか,将来の昇給が保証されてないと,結婚もできないし子供もつくれない,とか言ってる。

 なんだそりゃ。

 世の中の仕事は,個人経営の小さな商店から,小さな企業から,みんな大手が横取りしてしまって,大きな仕組みで,アルバイトで動かせるような仕組みでもって,低コストで動かすような世の中になった。

 世の中にある仕事っていうのは,もうそういう仕事しかないんだよ。

 もともと,高度成長期と呼ばれた時代だって,素人の若者は,タダ同然で働かせてもらって,数年のちにようやく半人前になって給料がもらえて,10年経って1人前の給料がもらえたりしてた。

 大学を出ただけで,どれだけの仕事ができると思ってるんだか。

 雇用側も,日本人の若者はすぐ休むし怠けるしで,主婦や外国人のほうがよく働くという。

 働きたくないのに,無理して働くことはない。
 親元にいて,養ってもらえる余裕があるのなら,新卒だからと就職する意味だってよくわからないんだろうし,アルバイト程度だって身に入らないのなら,その仕事を大切に思うひとたちに納得して席を譲ってあげればいい。
 ついでに芸術や文学や学問をつきつめて親の財産ごと費やしてみるのが,よほど世の中のためになる。

■それでいて,雇用したとたんに,毎月の固定給をいただけるのを権利と振りかざして,もし,会社が倒産しようものなら,不払いの給与をすべて払え,そのうえなんたらの賠償やら,今後の保証やら,全部よこせと元経営者に押し寄せ,経営者の家族一同から,一銭残らずむしりとらないと気が済まない。それどころか刑務所にぶち込め,一生もって償えと言わんばかりだ。

 それまでに経営者がどれだけ損をとって,給与を支払い続けていたんだろう。
 自分たちは,報酬に見合うだけの労働をしてきたんだろうか。
 もし,そうでなければ,それをなんとかしようとは微塵たりとも思わなかったんじゃないのか。

 放漫経営なんていまどきそうはあるもんじゃない。
 あるとしたら,公共のなんたるかの関係で仕事がまわってきたり,まわしたりできるひとたちのところだ。

 そういうところも,この不景気で見えるようになってきた。

■働いても必ずお金になるわけではない。

 損することも多い。

 それでも果てしなく続けるのが仕事だ。

 そうやって日々暮らしていく中に幸せをみつけられずして,何を幸せというんだろうか。

 …なんて,徒然と書いてみた。

 まとまってない文章でどーだかと思うが。
 きょうは,朝からあっちの方面,こっちの方面,そっちの方面,ちーとストレスたまったんで,いつも思ってることのうちの端っこを気晴らしに書きなぐってみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/22

音楽CDを買ってはいけない。

■つまり、そういうことだ。
 音楽CDやDVDなど、目に見える媒体でのコンテンツ購入の方法は、できるかぎり避けなければならない。

 作り手に届くべき対価が、中間搾取されてしまうから、あるいは、まったく届かない恐れさえある。

 そう、いわゆる「iPod課金」の話だ。

 詳しくはこちら( http://ascii.jp/elem/000/000/132/132100/ )や

 こちら( http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20080512/1002226/ )を、まず読んでみて欲しい。

 前者は、池田信夫氏のコラム「池田信夫の「サイバーリバタリアン」第16回 iPodに課金する文化庁の倒錯した論理 2008年5月13日」

 後者は、林信夫氏のコラム「Long and Winding Mac iPod課金の時代錯誤 2008年5月13日」

 同じ事柄について書いてあっても、それぞれの観点で(自身の言葉で)論じられているのがさすがだと思いつつ、方向性は同じだ。

■「お役所のやることは、わからない」それは昨今あちこちで耳に目にして、常識にさえなってきている嘆かわしい事態なのだが、また、これだ。

 声を上げていかないと、好き勝手にされてしまうらしい。

 日本はいつのまにか、そういう国になってしまった。

■人様の上前をはねることを労働と勘違いしてしまうと、こういうことになってきてしまう。

 確かに、利益を得、生活の糧を得ていくというのは、現象だけ見れば、そのように見える場面もあるにはあるが。

 経営とは、なんぞや、働くこと、労働とはなんぞや、そもそも論に立ち返って、経済活動をして欲しいものだ。

 また、その次には、政治とは、行政とは、経済活動を振興するものであって、そのものではないことも自覚して欲しい。

 また、学生諸君にもそのように教育を施し社会に送り出すのが当然であって欲しい。

■なんて、書くことがばからしいほどの、当たり前の話だ。

 その国の優秀な人々が、それを見失ってしまったかと思える状態は、もう、なんというか、嘆かわしい。

 そして、自分なりの、ちょっとひねくれた結論が、タイトルに書いたところだ。

 デジタル化、ネット化の進行が、世の中に汚れ物が滞る余地を与えない効果があるならば、それが、希望だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/25

「かけがえのないもの」というテーマの夢を見た。

■朝,風呂を沸かしすぎて,寝なおした。
 寝足しをしたのにまだ朝早くて,洗濯も,普通のと,毛布と,2回して,朝食も済ませて,あとは風呂に入るだけだったのに。

 そこで,「かけがいのないもの」というテーマの夢を見た。

 いつから見はじめたのか,いつの間にか始まっていたその夢は,記憶の中によると自分の部屋の中だった。思い返してみると,今まで住んだことのない部屋だったが,その夢の中では確かに自分が借りている自分の部屋だった。

■女性が通ってきていて,帰ったところだった。

 自分にとっては,すごく懐かしい女性,まだ青い頃につきあっていた,線の細い女の子。大きな濡れた瞳の,誰かって言うとそんな雰囲気の。

 土曜日の朝,帰っていって,自分は風呂に(現実の意識が)入ろうとしたのか,しかし風呂のふたがない,いや壊れている,いやこれか,これも違う,あー,そこにあるのか。

 風呂のふたを開けているので,風呂場の天井や壁にしずくがあちこちに,換気扇をそう,換気扇もどこにあるのか,ないのか,これか,ああ,なるほど,ホントはこうなっているのか。

 なんて目前の問題と興味にばたばたしているうちに,ふと気づいたことがある。

 土曜日なんだから,彼女はそんなに早く帰らなくても大丈夫なんだ。そりゃ,早めに職場に行かなくちゃならないときもあるけれど,融通が利くんだ。もう少し一緒になにか楽しいことをしてあげても良かったんじゃないか。

 それで,彼女のことが気になって,しかし追いかけるにはもう間に合わなかろうと,電話もメールも知らないし,そうだ,ネットで検索してみようと,別の部屋へ。

 部屋をみる,物が周囲に置かれている,向こうの壁の下には,キティちゃんかなにかサンリオのキャラクターの家のようなおもちゃも置かれている,その隣にはなんだろ,立体に小さなものが走るおもちゃ。ひとかかえくらいある大きさの。それらは自分のじゃない,ここに他にも女性が来ていることを彼女を気づいているのだろうか,いや,見渡してみて,それだと思うようなものはない。

 彼女も,別に決まった男性がいて,夫?なのか, しかしそういう関係ではないと以前言っていた。そういう関係ってなによ,なぜにかどうかどうなのか詳しくは知らない。
ただ自分は,彼女の許せる範囲の中で,彼女とのつきあいがあるのだから,自分の許せる範囲の中で,彼女とつきあえばいい。そう思ってきていた。だからただそれだけの。

 そうだ,いま気づいたんだ。

 彼女はおそらく夕べ来て,SEXもしたのだろうか,あまり覚えていないけれどたぶん。朝,自分を置いて,ひとりすんなりと帰っていった。少しだけ部屋の中を片付けて。
そう,いつもどおり。何のためらいも特別なこともなく。

 自分は彼女に何かしてあげられただろうか,何もしてあげられなかった,ただ普段どおり。記憶にも残らないくらいに普段どおり。それはおざなりということでもあるのではないか。何も特別なことをしてやらなかった。喜ばせてあげようとか,楽しませてあげようとか,そんなことも。

 そのことが却って自分の心残り?自分の気持ちを思い出させた。

 彼女はここへ来て何かを得たのだろうか?
 たぶんそうなんだろう,だからいつも来て,そしてまた帰っていく。

 なぜか。
 かけがえのないものが,たぶんここにあるのだ。
 だから来て,また帰っていく。

 かけがえのないものが,あると信じてくれている人は,自分にとってもかけがえのない人なのじゃないか。それにはっとしたんだ。そう自分は気づいたんだ。

 ノートパソコンを黒いカバンの中から出してきて,ACアダプタを,ケーブルがからまってうまく伸びない,引っ張る,
パソコンのACアダプタを,しかしプラグが壊れている。いや。もとからここにボルトが通ってないなと思っていたのだが,いやこちらのビスが外れたのか,わからない。ただ,この状態だと,安定しない。プラグがばらけてしまいそうだ…。

■だいたいそんな夢だった。

 かけがえのないもの。その答えは,知っている。「日常」ってやつだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/18

性善説,性悪説。

美舟さんのブログでコメントとして書いたものだが,普段考えていることのひとつでもあり,最近考えていたこととつながる話でもあるので,ちょっと内容を補足しつつ,ここに記載しておく。

 人間,もともと,素の状態では,善なの?悪なの?
 なんて,とても抽象的な設問なんだけれど,自分の大雑把な考えはこれ。

善も悪も無く「ただ生まれてくるだけ」だと。
 きれいも汚いもない。それらは他人が決めること。他人との関係の中で決まってくること。

 生まれたばかりは,世の中には自分だけなんだから,自分が一番。
 自分が王様,女王様,誰の制約も受けていない。

 善か悪か,他人(世の中とか社会とか)との関係の中で,弱い自分が庇護され生き延びるためにそういうのを決める必要があるだけなのでは。

 いうなれば,生まれたばかりは,自分ひとりだけなら,自分は絶対的な善で正義で,それを脅かすものが悪。

 しかし生き延びるためには立場の逆転が。ひとはひとりでは生きてはいけない。

 生まれながらに罪人,と先手を打って定義してしまうキリスト教は,なかなかやるなと。

■要するに,生まれながらに自分が善で正義だと確信している生き物(個体)は,周囲(社会)にとって悪でしかないともいえる。

 そもそも自分の身に危険が絶対に降りかからなければ,悪なんてないんで。
 そうなったら,自分の正義で,人殺しも戦争もアリ。(自分以外にとっちゃ悪に限りなく近いんだけれどね)

 だけど安全を実力で確保することになると,勝ち残った人しか善人になれないので,人数の多い「悪人たち」に容易にひっくり返されてしまう。
 そんな繰り返しの歴史の中で,より多くの人が善人になれる今の形に落ち着いているのだと。

 善悪というよりも,相手のhappyを侵食せずに自分のhappyを確保するというのはややこしいことなので,みな苦労するということなんじゃないかと。

■つまり,こうも言える。
 何も知らない=純粋無垢,罪のない。→善。 とするか,
 何も知らない=愚かで迷惑な存在。→悪。 とするか。

 被害を及ぼした場合,知らなかった,わからなかった,ならば,許されるのか。

 逆に,自分の思うようにいかなかった場合,知らなかった,わからなかった,ならば,被害者なのか。自分に責任はないのか。

■これは社会的弱者にも言える。

 自分は病気だ。ケガ人だ。つまり弱者だ。なのにこんなことするとはひどいやつだ!

 一般的にはそうだ。

 弱者は守らなくちゃいけない。みな弱いほうの味方をする。自分だってとりあえずはそうする。弱気を助け,強気を挫くのがヒーローだ。正義だ。

■しかし,いつでも,いつまでも,自分を弱者の側においておきたい人がいるのも事実。

 こんなかわいそうな自分にこうするなんて,なんてひどいんだ!
 自分は一生懸命にやってきただけなのに,なんでこんな目にあわなくちゃならないんだ!

 いつだって,いつまでだってそういっている。

■また,都合が悪くなると,そっちに逃げ込む人もいる。

 それがずるいことだって,自覚があればいいよ。
 たまに自分も使ったりする,こういう卑怯なやり方。
 たいていの場合は,まわりも良くしてくれるし,居心地がいい。

 自分のせいじゃない,自分は悪くない,人にせいにして愚痴ったりすると,すっとするときは確かにある。

■ただ,そればっかりしている人の近くには寄らないほうが良い。

 困っている人の話を聞いてあげるのはいいことだけれど,相手がそういう性分の人だった場合,いつか自分も言われるほうの側になる。そしてまたそこへ「善意の人たち」が集まる。間違った正義感を抱えた人たち。自分はすっかり悪人に仕立て上げられる。

 なんてことにもなりかねない。

■どうすれば防げるのか?

 いらぬおせっかいを焼くなって? うん,それもある。
 でも,困っている人を,悲しんでいる人を,ほうっておくことは,できないしさ。

 一番わかりやすいのは,
 「への字口」をしている人には,近づくなってことだ。



 …そして,もうひとつ,大切なことを書こう,

 ときおり鏡を見て,ほら,への字口になっていないかい?

 そんな自分を見つけたら,すぐさまにニカッと笑って,口元にその形を思い出させよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/25

@nifty:NEWS@nifty:ソフトバンク、フジ筆頭株主に=提携でライブドアに対抗-株式13%を5年間賃借(時事通信)

@nifty:NEWS@nifty:ソフトバンク、フジ筆頭株主に=提携でライブドアに対抗-株式13%を5年間賃借(時事通信)

■@niftyのニュースサイトには,各記事の下に「ココログにコメントを書く」というリンクがあり,前々から気になっていたのでそれをためしつつ。

■さてこの記事,つまり,ライブドアは×でソフトバンクなら○だということか。
 野球チームでは,ライブドアでは×で,楽天なら○だった。

■ライブドアが他の先行ITベンチャーに仕事を割り振っているかのようだ。
 これもまた「計画通り」ということなら面白いな,とか思いつつ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/03/17

韓国って国。

■ご存知のように,先日,島根県が2月22日を「竹島の日」と定める条例をつくりました。
 竹島を日本の国土として主張するためのその他の取り決めも含まれているということです。
 それに対して,韓国側は大騒ぎ。取材陣が押しかけ,ソウル市議も来日して,血の抗議書を書こうとしてカッターナイフを取り出して取り押さえられたり。
 大暴れです。

 竹島の件然り,日本海を東海(トンヘ)と韓国が呼んでいること然り,
 日本人がさほど問題視していなかったものを,ことさらに大騒ぎするから,そうなってくる。

 韓国然り,中国然り,
 国力が増してくると,まるで反抗期の子供のように,いままでの鬱積をぶつけてくる。
 そう思えてしまいます。

 どこでそんなこと,覚えたんでしょうか,経済力が増そうが,政治力が増そうが,軍事力が増そうが,まず事実ありき,です。
 いままでどういったルールでそれがなされてきたのか,学ばずして自論を押し込もうとしてはいけません。

 たしかに,日本は韓国や中国の一部をその統治下においていた時代がありました。
 日本が敗戦したことにより,戦争で得られたものを返還することになりました。
 しかし,それに乗じてそれ以上のものを要求するのならば,それは詐欺行為であり火事場泥棒のようなものだと思います。

■国内で竹島が問題になっていたのは主に漁業権の話らしい。
 もともと近い国どうしなのだから,領海が重なることもあろう,そこを共同の場所と取り決めていたところ,韓国側は竹島の領有権の主張を盾に,日本の漁船をしめだしてしまったらしい。

 それを日本政府がほうっておいたのが,そもそもいけない。
 島根の方々の生活がおびやかされたのであるから,そこはそう,主張すべき。

 そうしていたのならば,それは,島根県と政府と,韓国との議題であり,全国民が注視しなければならないような大問題ではなかったはずです。
 韓国に対する日本人からの印象うんぬんとか,そういう問題ですらない。

 これは,今からでも遅くない。
 仲良くやる方法を相談させなければならない。

 ただ,韓国側が,竹島の領有権を主張することで,漁業権の話し合いに応じないのならば,仕方ない。
 領有権の話をせざるをえなくなります。

■それは,竹島が,日本か,韓国か,という話です。。

 一本の立ち木もない岩だらけの,人が暮らすこともできない小さな島。
 その離れ小島を,古来から生活にとりこんでいたのは日本人で,韓国人は興味がなかったらしい。
 その歴史的経緯は,下記のサイトに詳しい。

「かえれ!竹島」
http://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html

「竹島問題」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

「竹島の領有権問題」
http://www.php.co.jp/THE21/kokusai/takesima.html

■もちろん,韓国側からも,同様の調査報告があっても良いと思います。きわめて学問的な話で。

 しかし彼らはどうも冷静にはなってくれないようです。
 戦争時の仕返しのように,かたくなに,意地になって。

 どうやら,彼らの学校の教科書にもそのように書いてあるらしい。
 立場を入れ替えるのならば,まずそこに,われわれが苦情を呈しても良かったのかもしれません。
 国内の教科書について,あれだけやんやといわれているんですから,お互い様ということです。

 ただし,日本では教科書を国が定める時代はもうとっくに終わっていますので,そこをまず認識してもらわない困ります。
 国と国,でいがみ合おうとしても,そうはいきません。

■ケンカにならない,ということを教えてあげなくちゃいけないんだと思います。

 さて,どうしましょう,
 賢くやっていかなきゃね。
 日本の政府,小泉首相,それまで紆余曲折あったとして,
 おお,さすが,といわせてもらえるような結果を,先送りせずに導き出して欲しいと期待しています。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/03/12

口真似,身振り・手振り。

■久々の記事作成。
 ここへの書き込みがあまりに久しぶりすぎて,どんな文体だったか忘れちゃってる。
 と,調べてみたら,年始の挨拶やら,@Niftyの14年の報告やらはおいといて,「です・ます調」を基本にってとこか。
 はい,了解。

■さて,本題。
 TVのタレントさんでも,巷でも,耳にする会話に「口真似」が多くなってきたなーと。
 口真似を交えて,身振り手振りで話してくれる相手がいることが,まず楽しいことで,うらやましいことです。

 でも待てよ。
 それでわかりやすいかといえば,どうなんでしょ。
 「それで,何が言いたいの?」なんてことも少なくないような。

 うーん,これはもしかして「言葉の表現力の欠如」では?

 伝聞した内容を,自分のこととして把握できず,
 更に自分の言葉としてうまく表現できないのでは?

■口真似に伴っているのが,身振り手振り。
 口真似を加えつつ,身振り手振りで話すのは,子供の話し方の特徴ですよね。

 つまりそれは,語彙が貧困であったり,論理的な組み立てをしつつ話すことができないということです。

 そういえば,演劇のセオリーとしても,「秀才君」は不動で話すってことになってます。
 それでいかにも優秀な感じが出せたりする。

 今までこれは,優秀な人間は理論的過ぎて,感情の起伏が乏しい(人間的・人情的ではない)という意味合いで,こういう話し方をするのではと思っていたのですが,実はそれと同時に,これはつまり,秀才ゆえに「言葉ですべてが表現し切れている」ということもあったのか,そして,最近よく見かけるようになった,口真似,身振り手振りの会話はその逆側になるのかと,すとん,と腑に落ちてしまいました。

■そういえば,不慣れな外国語を話すときにも,身振り手振りが多くなります。

 それが外国流の「表現豊かな」会話の仕方なのかしらと思わされてきたところさえありましたが,この考え方によると,つまりそれは「未熟な外国語を補うためにしていることに過ぎない」ということになります。

 そしてもし,外国人同士でもそういった身振り手振りの会話がされているのならば,その言語自体が身振り手振りに補われる必要があるのか,はたまた,その言語を扱う人たちがそれなりの言葉しか持ち合わせていないからってことになります。

 近年国内でよく言われている,言葉の乱れ,語彙の貧困さ。外国の後追いをしてるっってことかしら。

 「声に出して読む日本語」とかいう本が少し前に話題になりましたが,身振り手振り,口真似を排して会話の練習をするってのも,語彙の減少を防ぎ,論理的な思考を育てるためには効果的かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/02/28

@niftyは昔NiftyServeだった。

■25日に@niftyからメールが届いた。
 契約してから14年だそうだ。
 なーんか,ずいぶん昔の話になってしまった。

■若いころのことは,どんどん忘れてしまっているけれど,
 NiftyServeに契約した頃のことや,その後のパソ通ライフは
 仕事や遊びにかかわらず,そのつどの生活に伴って
 思い出され。

 最近,Niftyのパソ通サービスが終わってしまうという
 ニュースもあり郷愁を覚え。

 なんというか,NiftyServeは,自分の「母校」だ。
 学び・習い・遊び・集い…。
 同窓会があったとしたら,それはインターネット上だろうか。
 しっくりこないな。だからきっとそれっきりだ。

■あの頃の気分に戻って,何かしてみるのもまた新鮮かもね。


ITmedia「パソコン通信」とは何だったのか」
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0502/21/news012.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/05

新年のごあいさつと近況

明けましておめでとうございます。

■一部の方あての年賀ハガキにここのアドレスを記載しましたので,新年のごあいさつと近況を書くことにしました。

 自分はここの他にも(調査と比較のため)いくつかブログをつくっていまして,それらの使い分け,存続について,どのようにしていくか考えつついるところで,それについては,また機会のあるときに書きます。
 ここは本来,主には,タイトルにあるとおり,よく言えば社会学的な,一般的に言うと思いつきをちょっとだけ深く考えた小難しいことを書くスペースとして設立してありますので,このようなごあいさつや日記的な書き込みにはそぐわない場所ではありますが,この際,それは置いといて。

■近況として,仕事面では,年賀ハガキに書いた通りです。
 転職前は,3年くらいでやったるぞ,できるのでは?と(今ふりかえれば漠然と)思っていたことが,10年目にしてようやくそのとばくちが見えてきたかな,というていたらくです。

 原因のうち大きなもののひとつは,経営に携わるまでに5年も費やしてしまったこと。
 その間にDTP関連での交友を作り広げたり,旧友たちとスキーで親交を取り戻したり,自転車レースに出て圧倒的に仲間が増えたり,飲み仲間を増やして相手を見つけて結婚をしてみたり,は,ありましたが,経営的にはほぼ空白の5年間だったと思います。
 もうひつとは,経営,というものを甘く見ていたこと。
 言い換えれば,ここに来た自分に求められていたのは「経営」ではなくて,そこまで至る道「起業」や「創業」に近いものであったこと。

 まず,経営というのは,それ特有の知識が必要になるものだということがよくわかりました。なにかセオリーになるようなもの,指針になるようなもの,それがあるはずだってこと。
 次に,それらの知識が何なのか,網羅したものが簡単に手に入る場所には無く,そのつどに必要と思われる事柄を学ぶのに時間が費やされるということ。
 日本には経営を学ぶ場が無い。と言われますが,まったくそのとおりなのだなと実感しました。(大学の経営学部すら,経営の歴史や背景を学ぶもので,経営をすることを学ぶことに主体を置いてないらしい)

 今わかっていることは,必要とされるすべての実務の知識を幅広く得ること。それを総括するための知識を含めて。既に各々に熟練の部署や担当がいる場合には,そういった方々の指南を受けつつ「経営」をしていくことになるわけですが,それがないところでは,自分で生み出してかなきゃならない。誰も教えてくれない。
 そういった言わば標準的なものの上に,氾濫する経営者本にあるような,企業の目的意識や,経営や交流のノウハウや,経営者の資質などの個性的なものが乗っかってくるということ。
 もちろん,自分にできることできないことありますから,それがそれぞれ大きな制約としてあるわけです。(できない,無理ってわかれば,またそれで生き方もあるわけです)

 そんなこんなで,いまだ暗中模索のまっただ中ではありますが,今は視点が見つかれば,恐らくはある程度シンプルな仕掛けであるとはなんとなくわかってきた,つもりでいるので,いいかげん飽きてきたところに更に鞭打っていかなければと。
 違ってる?(笑) ご指南お待ちしております。敬具

■自転車は,おととしの盆休みに箱根のYHまで一泊二日(往復約250km)で走り,それがもう2年近くぶりの遠乗りで,直後,これからはできれば月に1度は,ちょっとした距離(50キロ超くらからかな)を走りたいな,走るぞ!と思ったのもつかの間,昨年のお盆休みを前にして,さて,走ろうか,前回はいつだったっけ?と自問すればそれが前年の盆休みしか思い当たらないというていたらく。(ていたらく重ね)
 行き先をあちこち思案し,前年ほどの体力はなかろうと,箱根行きから距離を同じくして箱根峠を抜いたようなコースの湯河原への道を選んだのでした。真鶴峠はあるけどね。またまたサイコーでした。
 それ以降,はや半年を経てしまいましたが,ほとんど走っておりません。うーむ。
 生活が変わるというのはこういうことなんでしょう。レースを走ってた7年前には,自転車を生涯のスポーツとして生活の中に取り込んでいきたいと思ってたのにね。今もその気持ちは変わってはいないんですが,いいかげん何かやりかたを変えるか,あきらめて別の方法にするかしなきゃいけないのかも。

■見るもの聞くもの
 映画をよく観るようになりました。試写会や招待券を当てて行くのがほとんどです。それと6月からですが,HD付DVDレコーダを購入したので,TV番組を観ることも増えました。帰宅後の深夜の息抜きに。30分で観られる番組やドキュメントなど。
 何をどのように観てるのか,そしてそこから何を得ているのか,書き出すときりがないので,それはまたテーマを設けてここか他に書きますので,もし興味をお持ちの方はまたここにきてみてください。

 お持ちの方,で,お餅と誤変換して,思い出しましたが,正月の過ごし方などについても長々と書いてみたいとも今思いましたが,それもまたの機会ということで。

■みなさまにとって,わたしにとっても,よい年でありますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/12/27

ドンキが狙われている

■昨晩,日曜日,ひさびさに部屋でテレビを見ていたら,この時間帯で唯一のニュース番組はフジテレビ「情報ライブEZ!TV」だった。森本毅郎氏・小島奈津子氏がキャスターの番組。

■久米弘氏の「ニュースステーション」以降,同じような番組が各局濫立した。しかし,そういった番組では,メインキャスター自身の考えがどこにあるのか曖昧なことが多く,言っているか言わされているのか,その意見に愚鈍さを感じてしまうことさえある。

■未明,またドンキが放火されたらしい。今度は世田谷の店だ。
例によって衣料品の売場が火元になり,あっというまにほぼ全焼の有様。
連続放火魔による単独犯罪なのか,連鎖自殺さながらの連鎖放火,なのか,いずれにせよ社会の病理が深く関わっているのは自明だ。

■この番組では,なぜかドンキの消防法違反のことばかり伝えていた。おかしい。
確かに,火災になった際の避難路の確保等,法律で必要と定められていることがらは,店舗を経営管理するならば最低限に守らなければならないことではあるが,それを報道するに至るまで,それ以前に調べ,かつ伝えなければならないことを省いてはいないか?

■何よりもこれは放火事件である。放火は重罪である。これが一言も語られていない。
たとえ消防法に違反している店だろうがなんだろうが,火をつけてはいけないのだ。火をつけた奴がいちばん悪い。憎むべきは放火魔だ。もしかしてこれは「テロ」か?と疑う発言も今時ならばあっていい。

■消防法の違反と,最初の火災時に死者を出してしまったことは関わりがあり,その点においてドンキの罪は軽くないが,消防法の違反と,放火された事の関連性はまだ証明されていないのだから,これは別のことだ。
この番組ではここを理由無く短絡していたように思う。

■消防法に違反しているから放火されたのか?
うん,もしかしたらそうなのかもしれない。
しかし,そんな因果はどこにも証明されていない。番組でも言及しない。なのに,なぜ,そのことばかり言い立てる。

消防法に違反しているから放火されたというのであれば,その理由をまず述べなければならないし,世の中のドンキ以外の別の店舗での消防法の規定への遵守状態はどうなっているのか,それを調べ,伝えるべきだ。そういった店に警告を発するためにも。

■確かに,ドン・キホーテは,アウトサイダーだ。
新興勢力であり,今までになかったことをたくさんしてきた。既存業者のしていなかったこと。スキマをついてきた。同業者にも敵が多いだろう。深夜営業では,近隣住民の非難にあったり,決して歓迎されていない面もあった。
しかし,ここまで店舗数を伸ばし,売上げを伸ばしてきているのは,より多くの顧客に利用されているからに他ならない。「ドンキ」という愛称も,すでに定着している。いまや「ドンキ」に匹敵する店は無い。

ドンキを攻撃するのは簡単だ。しかし,今や利用者(世論)はドンキを応援したがっているのではないか?
私はそうだ。ドンキも襟を正すべき点があるが,それは放置しておいてもドンキに利することもないのだから,間も無く解決されるだろう。
それよりも問題は,放火魔だ。ひとごとではない。誰が放火を止めるかだ。その術を,報道してほしい。

■そんな中,ドンキの株価が下がっている。ドンキが狙われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧